
4月になり僕たちは無事に進級し、中学2年生になった。ようやくここ長岡にも桜の便りが届き、本格的な春を実感しています。きょうは始業式の朝。
「行ってきまーす。」
僕は家を出て、深呼吸した。
「すぅ〜...はぁああぁぁ〜...うん、今年もがんばるぞ。」
新学期の希望を胸に、学校へ歩き始めてると...
「あ、、走おっはよー!!」
「ううゎ、ちょっ、わーかったから、離れてよっ。」
修にいつものように捕まってしまった。小学校より前のことだから、かれこれ10年以上ですかね、まあ修なりのあいさつのようで。もうあきらめてます。
「今年はクラスどうなるかな〜、今年も走と一緒がいいなー」
「え〜。」
「ちょいちょい走さん、おれと一緒嫌なのかよー」
「えーだって、なんだかんだ修のお世話面倒だし、たまには離れるのもいいかなーって思って。」
「そーやって、ほんとは一緒にいたいくせに〜、素直じゃねーの」
「はぁぁ?べっ、別に違うしっ、ちっちがっ、ちがう、ク、クラスの方がせいせいするし!」
「走、顔真っ赤w」
「あー、もううるさい!、行くよ、もう。」
「はいはいw」
僕は恥ずかしさを紛らわすかのように学校へ早歩きで向かった。あーもう、新学期早々修に振り回されっぱなし、覚えてろ〜。
「リンリン♪♪、おふたりさんおはよう」
「あ、幹おはよー。」
「おはよーっす」
自転車に乗って鈴を鳴らしながら現れたのは幹。幹は僕と修とは別の小学校から今の中学に入学。僕らより少し遠い地域からの通学なので、自転車通学が許可されている。
「じゃあとりあえず、おれはチャリ置いてくるから、おっ先ー」
「あ、幹、ヘルメットのあごひも外れてるー。」
「お、いっけね。ありがとー」
僕が注意すると、幹は器用にあごひもを締めてた。やっぱり普段あれだけ器用に脚でボール触ってるから、手先も器用なのかな。
※走からのお願い...ヘルメットは正しく着用しないと、本来の効果を発揮しないので、みなさん気をつけましょう。
「いーよいしょっと、ふーこれでよしと」
「うん、あらためて走と修、おはよう」
「おはよ。」
「おはよー」
「......なんかあれだね、なんか桜を見ると何かのはじまりを感じるというか、なんか心がざわつくよね。走と修もそう思わない?」
あ、幹太ワールドが始まった。
「へ?あ、あーそ、そうなんじゃないかな?ね、修?」
「ん?ぅぅ、うん...??」
「......あれだけ厳しく雪深い長岡の冬を耐え抜いて、そして暖かくなり、おれらに笑顔のような綺麗な花を、見せてくれるのって、すごいなって思う」
「「......」」
僕と修は、幹の独創的な世界観に圧倒されて、黙るしかなかった。
ただ、この幹が持っているものは、普段のサッカーのプレーにも生かされているような気がします。たとえば、自分で前線にボール運んでシュートと見せかけて、わざとタイミングずらして相手を剥がしてスペース作ってから、シュートして決めたりとか、ゴール前にいた相手の選手の視界に入らないとこにわざとボール当ててオウンゴール誘ったりとか。たぶん所属してるナガオールFCではそのようなプレーも評価するカルチャーだから、2年生のうちから7番着てると思うんですよね。ただ、県の協会の審判団の中では相手を欺くような、ずる賢いプレーを是としたい人たちがいるらしく、幹はジュニア時代からいい意味でも悪い意味でも注目されてるみたいです。こういうとこが日本のサッカー、スポーツって遅れてるなって思います。
だから少なくとも僕や修は、幹が窮屈にならないような環境を作ってあげたいですね。
「......幹、今日の桜の調子はどうだって?」
僕はこう、尋ねてみた。
「うん、ひさびさにみんなに会えて、うれしいって」
「そっか。じゃあ、そろそろクラス発表、見に行く?」
「うん」
僕と修と幹は、クラス名簿が張り出されてる玄関へ向かった。
「げ...」
僕は玄関に張り出されているクラス名簿を見て、青ざめてしまった...
「よっしゃー!今年も走と一緒だ!」
「やった、今年はおれも走と一緒だ」
昨年度は僕と修が同じクラス、幹だけ別のクラスだった。今年は幹とも同じクラスとなってしまった。あー、修の面倒だけでも大変なのに、今年は幹のこともかー。...まあ、がんばりますか。
「おれさ、いつか走と一緒のクラスになりたいなって思ってたからさ、すごいうれしい。走1年間よろしくね」
「へ?あ、う、うん。」
なんか、そんなまっすぐな目で言われると、ちょっと照れる。幹が、こんなふうに素直に気持ち言ってくれたこと、これまであったっけ?幹とは知り合って、まだ1年足らずってのもあるかもだけど、やっぱりよくわからない。
幹とは昨年度は別のクラス、ただいろいろあって知り合うことになりまして。まあその話は、おいおい。
ー長岡市立表町中学校
ここが僕らが通う中学校です。公立中学校としてはめずらしく新潟県中越地区では唯一、"教科教室型"の方式を採用していて、よくある何年何組の自教室がありません。その教科教室のとなりに設置されている"ホームベース"と呼ばれるロッカールームが、生徒の数だけ設置されていて、そのロッカーに生徒個人の学習用具を収納します。ちなみに、この中学校はもともとは長岡市表町というところに設置されていましたが、現在の校舎の一つ前の校舎へ新築した際に、現在の場所に移築されたようです。なので表町中学校と名乗っていますが、表町には"ない"中学校となっています。
僕はもう一度貼り出されているクラス名簿を確認した。
「......あっ、今年も同じクラスだ、まあ、うん...、よし。」
ー放課後
きょうは始業式と学活があるのみで給食もなし、午前中の放課となった。修は野球部の集まり、幹は家でお昼を食べた後、午後からオールの練習とのことですぐ帰宅。放課後、僕ひとりとなった。
新潟県は2000年代に入り、たびたび大きな災害に見舞われてきました。2004年の7.13水害(新潟・福島豪雨)、そして同年10月23日に発生した新潟県中越地震。2007年には新潟県中越沖地震も発生。この表町中学校は、これらの震災が起こる前から改築が検討されていて、ある程度の方向性が決まった翌日、中越地震が発生したそうです。中越地震が起き、表町中学校の改築計画は一旦白紙。一連の対応が集結したとして、翌年には表町中学校の改築計画が再始動しました。当時の林杜夫長岡市長の指示で、改築計画に"災害時に地域の防災拠点となる学校づくり"というテーマが盛り込まれたそうです。
体育館まで歩いてきた。
「...きょうは静かだな。」
普段は体育の授業や部活動でにぎやかだが、きょうは午前中で放課ってのもあり静かだった。
「なんか、こんなに広いとこが静かだと、逆に気味悪い。」
ピン、と張り詰めた緊張感を感じたが、せっかくなので少しだけ仰向けに寝てみた。
体育館はバスケットボールコート2面分の広さを有しており、災害時には一時避難所となる。実際に使われているのはみたことないが、テレビやケーブルテレビの回線も引かれてるらしい。これも避難者が情報を得られるように配慮されているのかな。
となりの武道場に移動した。
「すぅ〜、畳のいいにおい。」
武道場は普段は柔道部が使用、体育の授業でも使用される。災害時には畳敷きの避難所として機能する。
「お年寄りとかは畳の方がよかったりするのかな、なるほどね。」
玄関に戻ると、この表町中学校の象徴とも言える、3階まで一気に登れる大階段がある。階段脇はガラス張りとなっており、晴れた日は吹き抜けに心地よい日が射す。
階段に座って、校舎や外を眺めていると...
「こっちにお願いしまーす」
階段裏から声がした。何かな思って階段から身体を乗り出して、覗くと...
「ピアノはこちらの方に設置でよろしいですかね?」
「はい、ありがとうございまーす」
業者の方とうちの先生が話し合いをしているようだった。そういえば新しいグランドピアノが設置されるとか言ってたっけ?
「じゃあこちらの方へサインお願いしまーす」
「...はい、じゃあお願いします」
「ありがとうございました、またのご利用をお持ちしていまーす」
業者の方が帰って行った。応対にあたった先生も教務室へ戻った。
ピアノが気になりすぎて身体を階段から乗り出していたら、手を滑らせてしまった。
「あっ、やべっ!」
階段から落ちそうになったが、そこにたまたま先生が通りかかり、身体を支えてくれて転げ落ちなくて済んだ。
「おーい、大丈夫か。あ、佐藤弟じゃないか〜。気をつけろー」
「はい、すみません。ありがとうございます。」
..."佐藤弟"か。ふふっ、まあ、しょうがない、か...
「...うううぅ〜、ピアノ、弾きたい...」
僕は顔を右左、目をキョロキョロしながら周りを確認して、周囲に誰もいないことを確認して、
「ちょっ、ちょっとだけなら、い、いいよねっ。」
まだ弾いてはいけないと、指導があったが、ピアノ弾きの血が騒ぐ...
ピアノに近づいた、その瞬間...
「キーンコーンカーンコーン、完全下校時刻となりました。生徒は速やかに帰宅してください」
校内放送が流れた。
「うっ、もう少しだったのに...」
僕は肩を落とした。
「よし、明日早めに登校して、こっそり弾いてみるか。」
ー翌日。
修と幹に、"きょうはやりたいことあって、早めにひとりで学校行くからよろしく。"とMINEして早めにひとりで登校した。
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