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2004年(平成16年)10月23日、17時56分、新潟県北魚沼郡川口町(現:長岡市)を震源とする最大震度7を観測する地震が発生し、今日でちょうど14年となります。
この地震で68名もの尊い命が奪われました。
また最大震度7というのは当時、1995年の阪神・淡路大震災以来2例目の観測となります。

今日はですね、僕がこの地震について実際体験したことをお話したいと思います。

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地震が起きたとき...

14年前ということで僕は当時小学校2年生でした。
地震が起きた時は父と姉と一緒に買い物をしてましたね。

突然、ドスドスっていう鈍い音がしてその後急に激しい縦揺れが起きたんです。
店内の照明もパカって消えて、ガシャンっていう何か物が割れる音もしました。
この時期18時前は日が落ちかけているので照明が消えたら一瞬で真っ暗です。
ほんとに怖かったですよ、父にしがみついてたのを今でもよく覚えています。

でレジも全部使えなくなって何も買わずにとりあえず帰ることになりました。
まあ新潟県は車社会ですから3人で車に乗って帰ったんですけど、車に乗ってる最中もたまにゆらゆら揺れるんですよ。
徐行運転で帰っていましたね、ちなみにその車で帰ってきた道は、翌日には道路のアスファルトのうねりが激しく通行止めになっていました。

僕ん家はガス、水道、電気、いずれも止まらなかったんですが、ガスが安全装置が作動して一時的に使えなくなりましたね。
その日夜ご飯はカレーで、ガスボンベであっためて食べました。

余震活動が長期に渡り続いた

この地震余震が多かったんですよね、いわゆる本震と同じくらいの地震が2、3回くらいあったんですよ、23日中に。
その後も長い期間余震が続いて、やっとここ数年あんま起きてないねって感じです、僕の感覚だと。

地震による身近な影響

翌24日に小学校の文化祭が予定されていたんですよね。
当然中止になりましたし、学校は避難所になりました。
だから新潟県に住んでいる僕前後くらいの世代の方はこの年は文化祭やってない方他にもいるんじゃないんですかね、だいたいこの時期が文化祭なんですよね、僕の住んでいる地域だと。
文化祭のバザーで販売される予定だった食べ物も避難してきた方に配られたそうです。

地震による僕の家に被害はなかったんですが、土壁の部屋の四隅が取れちゃったんですよね、これは未だに直した跡が残っています。
あとは階段がずれたとかそれくらいですかね。

ただ、僕の家から10分くらい車を走らせるともう山間部なんですよね、そこでは土砂崩れや家がつぶれてしまったってことがありました。

 

とりあえずこんなですかね、14年となるとその年に生まれた子はすでに中学生ですね。
だから高校生がギリギリ分かるかどうかってところですかね、そう考えると早いんですかね。
まあこれは人それぞれだと思います。

今年は北海道で震度7、地震じゃないですけど西日本で水害と大きな災害が続きました。
災害というのは当然ですけどいつどこで起きるか分かりません。
今一度災害後起きたときどのように行動するのか、もう一度家族や周りの人と確認しておくことが大切だと思います。

中越地震、時間が経って若干忘れ去られているとは言いませんけど、薄れつつあるような気がしたので今回このような記事を書きました。

 

今日、被災地は鎮魂の祈りに包まれます。

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